「リスキリング=デジタル人材育成」ではない。
エッセンシャルワーカーにこそリスキリングが求められる理由
<東京大学大学院経済学研究科・経済学部 教授 柳川範之さん>
デジタル人材育成の文脈で使われることの多い言葉である「リスキリング」。本来的な意味は「Re-skilling(リスキリング)」=「スキル向上を繰り返す」「再教育する」「新しい技能を身につける」であり、特定の領域に閉じた話ではありません。
日本経済新聞社が設立した「日経リスキリングコンソーシアム」にて座長に就任し、東京大学大学院経済学研究科教授を務める柳川 範之氏によると、医療や介護、小売・物流など社会生活を支える、エッセンシャルワーカーのリスキリングも、こらからの時代では重要とのことです。
エッセンシャルワーカーのリスキリングがなぜ必要なのか、その具体的な方法は何か、柳川氏にお話を伺いました。
リスキリングのゴールは、デジタル人材だけではない
そもそもリスキリングとは何か、あらためてご解説いただけますでしょうか。
今世の中には「狭義のリスキリング」と「広義のリスキリング」の2種類が存在しています。
狭義のリスキリングは、企業が構造転換や環境の変化に対応するために、戦略を大きく変更する際、その方針転換に対応できるよう、人材が新たな能力を獲得するという意味合いが強いです。つまり、企業の変化に合わせた能力開発を指します。
しかし、近年ではその枠を超えて、社会全体の変化に対応するために必要なスキルを獲得する、より広い意味で「リスキリング」という言葉が使われるようになっています。とくに日本では、広義のリスキリングを用いられる傾向が強いです。さらに、個人がこれからの時代に活躍したい分野に進むため、新しい能力を身につけることも、リスキリングとして捉えられるようになっている現状もあると思います。
現状、リスキリングは世の中にどれほど浸透しているのでしょうか。
「リスキリング」という言葉自体や、「活躍し続けるためには新しい能力を身につけなければならない」という認識は、広く浸透してきていると感じます。しかし、具体的な行動に結びついている人の割合は、まだ少ないのが現状です。
うまく行動に移せない人の背景には大きく2つの課題があると考えています。1つ目は、何を目指すべきかが明確でないことです。リスキリングが重要だと理解しているもののゴール設定が曖昧で、その結果、具体的なアクションも定められないというパターンが多いのではないでしょうか。
2つ目は、リスキリングの方法がわからないことです。希望するスキルを身につけるための、やり方やツールがわからず、目標が定まっても実行に移せないパターンです。その結果、先ほどお伝えした狭義のリスキリングのイメージで、「リスキリングと言えば、プログラミング学習」と、偏って考えてしまう人が多くなってしまいます。
社会基盤を維持するために重要な、エッセンシャルワーカーのリスキリング
これまでデジタル人材育成のためのリスキリングが、注目を集めていた背景について教えてください。
そもそもリスキリングの必要性が言及されるようになった背景には、社会の大きな変化があります。変化に対応できなければ、個人は活躍できず、会社も生き残っていけないことから、学び直しの必要性が論じられるようになったのです。
変化の原因はいくつか考えられますが、 やはりコロナ禍をきっかけに加速したデジタル化による影響は大きかったです。オンライン会議をはじめ、すでに確立されていたデジタル技術がコロナ禍で急速に普及し、私たちの働き方が大きく変わりました。
加えて、AIをはじめとするさらなる技術の発展により、これまで当たり前だった仕事の進め方や、仕事に必要とされるスキルにも大きな変化が起こりました。そのような状況を受けて政府も、経済の競争力を維持するために、デジタル人材育成をさまざまな政策で後押ししたのです。その結果、今のような「デジタル人材育成のためのリスキリング」が社会に浸透することになりました。
柳川さんは、エッセンシャルワーカーのリスキリングが重要だと発言をされています。なぜ、そのように思われるのか、教えてください。
そもそもエッセンシャルワーカーとは、社会にとって欠かせない存在であり、私たちが今の生活レベルを維持するために非常に重要な存在です。日本では今、人口減少にともなう労働力不足が進行しています。一般的な職種であればサービス縮小も手段の一つですが、エッセンシャルワーカーの場合、どんなに人手が不足しても、適切なサービスの提供が求められます。
難しい局面を乗り越えるには生産性の向上や効率化が重要で、そのためにデジタル技術が大きな役割を果たすのです。既存業務のデジタル化を推進できる人材はもちろん、新しい機器やシステムの操作方法など、技術革新に対応できる人材の育成が重要です。
エッセンシャルワーカーのリスキリング、2つのパターン
エッセンシャルワーカーのリスキリングにおいて、重要なことを教えてください。
目的に合わせたリスキリングのプランを設計することです。
エッセンシャルワーカーのリスキリングには大きくわけて2つのタイプがあります。1つ目は、経験者のスキルを活かし、さらにレベルの高い業務ができるようにするパターンです。
デジタル化が進むことでこれまでの経験が無意味になると思う人も多いですが、それは違います。デジタルツールやロボットが導入されても、その活用には経験が不可欠です。経験者の方々は、自分たちの経験を活用するための補助として、デジタル技術を活用することでより高い付加価値を提供できます。
2つ目は、未経験者がエッセンシャルワーカーとして働けるようにするパターンです。人手不足が進む中、エッセンシャルワーカーとしての経験がない方々に活躍してもらうことの必要性が高まっています。しかし、農業や介護などの現場の経験がなく、いきなり実務に適応することは難しいです。最新テクノロジーやデジタル技術を活用し、未経験者でもエッセンシャルワーカーとして活躍できる環境を整えることが重要になってきます。
これまでリスキリングと言えば、高度なテクノロジーを習得することに焦点が当たりがちでした。しかしこれからは、農業や漁業など一次産業や、介護や医療など地域の人々を支える分野の知識や経験を身に着けることの重要性が高まるのではないかと思っています。
経営者に必要な考え「リスキリング=投資」
最後に、従業員のリスキリング推進を考える企業経営者に、何かメッセージがあればお願いします。
リスキリングにはコストがかかる、と感じる経営者の方々が多いかもしれません。しかし、これは「投資」としてとらえることが大切です。短期的な出費があっても、将来的には大きなリターンが得られることを見据え、ゴールを設定することが重要です。
ゴールには2種類あります。1つ目は、従業員のために教育機会や能力開発の場を提供することです。短期的には企業の利益に直接つながらないように見えるかもしれませんが、人材を惹きつけ、確保・定着させるための採用戦略や人事戦略として効果的です。とくに優秀な人材が辞めない環境をつくるためには、学習機会を提供してくれる企業だ、という信頼は大きな強みとなります。
2つ目は、自社のために高度な人材を育成し、企業の成長や経営基盤の強化に貢献してもらうことです。そのために経営者は、社員に対して「5年後には、ここまで会社を成長させる」といった明確なビジョンを示し、必要なスキルの習得をサポートすることが大切です。企業と従業員が一緒に成長できる環境をつくれれば、従業員の満足度向上と企業の業績アップを同時に実現することができるでしょう。
柳川 範之
東京大学大学院経済学研究科・経済学部 教授
■略歴
中学卒業後、父親の海外勤務の都合でブラジルへ。ブラジルでは高校にいかず独学生活を送る。大検を受けたのち慶應義塾大学経済学部通信教育課程入学。同課程卒業後、1993年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士(東京大学)。慶応義塾大学経済学部専任講師、東京大学大学院経済学研究科・経済学部助教授、同准教授を経て、2011年より現職。
内閣府経済財政諮問会議民間議員、金融庁金融研究センター長、東京大学不動産イノベーション研究センター長、日経リスキリングコンソーシアム・アドバイザリーボード座長等。
■主な著作
『日本成長戦略 40歳定年制』さくら舎、『東大教授が教える独学勉強法』草思社、『東大教授が教える知的に考える練習』草思社、『40歳からの会社に頼らない働き方』ちくま新書、『法と企業行動の経済分析』日本経済新聞社等。
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